4人のNEWSは永遠にファンタジーであれ
4人のNEWSが大好きだった。
私のNEWS担の始まりは4人のNEWSだった。
今、3人のNEWSとなって、彼に思うことを自分の気持ちを留めておくためにも正直に綴ろうと思った。
これから書くことはあくまでも「私」が感じていることであって、誰の考え方とも比べるつもりでも押しつけるつもりでもないです。
もしあの時こうだったら、という憶測で綴ることもあるので、もし気を悪くさせてしまったらごめんなさい。
それでも、時の流れと運命と人となり。すべて「私」がここまで感じて思ってきたことを書き留めておきます。書いて何になるのだろうかと思うけど、なんか書いておきたかった。それだけ。
まず、私は完全に4人からのファンです。
6人のNEWSも恋のABO(2009年)くらいから気になってはいたものの、ドワンゴのCMとか録画に入ってたら残すくらいの感じでした。
この時は「ちょっと気になる推し」みたいな感じだったのかな。
その時は手越くんが気になってました。
ABOのDメロがすごく好きで、Dメロカットする音楽番組に「なんでそこまで歌わないの😤😤」と思ってた(笑)
そんなゆる〜く6人のA面曲だけを聴いてた私がファンになったのは、2011→2012のカウコン。
「新生NEWS!」と紹介されて、白い衣装で「希望〜Yell〜」を歌う4人がすっごくアイドルでキラキラしてて、「これだ!!!!!!」とその日からパチンとファンになった。
それからチャンカパーナ発売までは7ヶ月あったので、過去のNEWSを知るのには十分すぎる時間だった。
ブックオフに毎週のようにCD探しに行ったの懐かしいな(笑)
そして、初めて行ったジャニーズのライブ、初めて握手した芸能人。
すべての「初めて」とそのファンとの近さにどんどんハマっていった、、
10周年のドーム公演とか、ほんと相思相愛だったよね。
手越くんも「俺らって幸せだね☺️」ってでれっでれしてしまって、誰もが「帰りたくない」って思うような空間だった。幸せだったなぁ。。
この時、6人のNEWSにはハマらずに、4人のNEWSにハマったのは、6人のNEWSには「私」がハマる要素がなかったと思ってました。
だから、6人のNEWSには気になってもファンにはならなかったのかなって思ってる。
今ももしかしたら、4人のNEWSは好きになれなかったけど、3人のNEWSにはハマりそう。なんて人もいるかもだよね、知らんけど。
それはその人のNEWSと出会うべきタイミングであってそれでいいと思う。
もっと早く知りたかった〜って、ファンになった当時は何年も思ってたけど、さすがに10年経てば思い出の方が濃くなる、かな?たぶん。
話が逸れてしまったけど、そうして時に多幸感に溢れ、時に泣き、時に病み()、自分の人生に大きな影響を与える彼らはどんどん私の心の支えでなくてはならないものになったのですが
去年。まさかのね。
「また謹慎か〜まあ落ち着いたら戻ってくるでしょ」と思ってたのが、every.で聞き慣れた名前と顔の人が聞き慣れたグループを脱退すると報道された。
第一声は「え?!?!!!」
戸惑いとかショックとかすべてなくて、驚きしかなかった。
会見までは何が起こってるの…?と思うばかりで涙も出てなかった。へっ、って。
けど、すべてを受け止める覚悟で見た会見は私が知ってる手越祐也でしかなくて、憤りの矛先がどこにもなくてただただ苦しかった。
本人からの話を聞くと現実み増して、日に日に苦しくなっていった。
10thのドームで、4人で初めてのドームで「俺らって幸せだね☺️」って言ってた手越くんも、今会見で「NEWSとファンは最高だ、俺嘘つかないからほんとだよ!」と主張する手越くんも全部全部嘘はなくて知ってる手越くんでしかなかった。
ただ、彼が「NEWSの手越祐也」ではないという事実だけが違った。どんなに思い出や人柄が同じでも事実が違った。
それがどうしても苦しくて苦しくて。「苦しい」って感情、これなんだと思うくらい泣いた。
けど、NEWSも手越くんも歩みを止めてはいられなかった。時の流れって残酷だなぁ。。
この一年、3人の発言と手越くんの行動をそれぞれ見てて「あぁ、本当に仲間だったんだよな」と思いつつ、明らかに4人のNEWSの時よりも「NEWS」というグループで出させてもらう番組とかの幅や層が変わった気がしてて。
そこで1番思うのは、手越くんのイメージで呼ばれなかったり、呼ばれてたけど事務所のGOサインを出してもらえなかったことも多かったのかなってこと。
すごいひどいこと言ってる、ごめん。
ただ、タイミングが違っただけかもしれないよね。
でも、手越くんがやりたかったこと、Youtubeだったりファンの近くにいけるライブであったり、自分の言葉で発信する機会であったりは今のジャニーズでもやってる人はいるし、させてもらえる環境が整ってきてた。
やれせてもらえなかったのは、他でもない手越祐也だったからなのかもしれないとも、思ってしまった。
すごいひどいこと言ってる、ごめんね。
個人でやると本を出すにしても彼の「自分の言葉で伝えられるのを出したい!」って気持ちだけが目立ってしまって炎上してしまうことが実際に形になってはっきりした。
ジャニーズ事務所は手越祐也という性格を考えて守るためにあえて制限をかけていたとも思う、けど、それは彼にとって縛りにしかならなかった。
彼だからそういうタイプなのは分かるけど、単に「我慢すること」ができなかった彼の行動がすべてに足枷をかけてしまっていた気がしてしまうのよなぁ。。
もちろん、個人になってスピード重視でやってるからこそ、スポーツの場で国歌斉唱であったり、始球式であったり、ゲーム実況であったり、彼のやりたいことを彼のやりたいタイミングでできていて、それはNEWSにいては何年も後にしかできないことだと思う。だから、それで彼がいいながらいいんだと思う。
ただ、今の3人がNHKの歌番組に呼ばれてたり、STORYを終えて次のステージに進もうとしている姿やファンからもNEWSに感謝を伝える企画が公式でやらせてもらえる環境があるのを見て、もしかしてNEWS紅白出られるかも??とか思うし、ファンからのサプライズ彼ももらいたかっただろうなとか思うと、
「てごしぃ〜〜〜〜抜けてなければこの夢のステージやファンからの愛をもらえてたのに〜〜〜よ〜〜〜!!!!!!」と思ってしまうのだよ、わたしは。
ねぇ、手越くん。寂しくない??私は寂しい。
4人のNEWSが大好きだったから、4人で夢のステージに立って夢のような素敵な景色を見て欲しかった。エゴでしかないけど、いつまでも4人のNEWSでいてほしかった。
でも、手越くんがいる環境ではそれは叶わなかった。
それが、手越くんがいない環境だから叶うようになった。
とどうしても感じてしまって。
すごいひどいこと言ってるよね、ごめん、、
どうすればよかったのだろうと思うけど、小さな積み重ねであってあの時あの選択肢をしていなければってことでもない気がする。
間違いなく、新生NEWSの時には手越くんの強気な推進力がなくてはならなかったから。
でも、強気になるべき時とそうでない時の取り方を少しずつ違えてしまったような気もする。誰も、本人も気づかないまま。「これが手越祐也だから」と。
4人のNEWSになった時、増田くんが「2人が辞めてしまったのはもしかしたら自分たちにも否があったからかもしれない」と言っていたのを覚えてる。
ほんと、この人はなんて考え方をする人なんだ、、と思ったけど、今回この言葉がまた刺さった。
テゴマスって似てるようで似てなくておもしろいよね。
増田くんは変わらないことを大切にする一方、手越くんは、すごく変わり続けたい人。
でも、2人ともNEWSやテゴマスにしかできないことを作りたい思いは一緒で。
「歌」という武器を丁寧に丁寧にブレずに磨いていく増田くんがいる一方、
手越くんは、新しい!それ人気なの?何それすげーおもしろそうじゃん!やりたい!という、勢いのある人。やりたいと思ったことはすぐに全部やりたい人。
ほんとすごい、勢いがすごかったな…(笑)
でも、変わらないことを大切にする人は考えすぎてしまうことが多いので、変わりたい!!と直感で突き進める彼の力はとても大きかった。
突き進む手越くんをうまく修正していくシゲ、そしてそんな手越くんでも止まった時にいつでもおいでと言える小山さん。
NEWSの4人ほ本当にバランスが良かった。
だから、大好きだった。
なんでこうなってしまったんだろう。。と今でも何度も、何度も思う。
そして、またいつか。とも何度も思う。
なんか、4人のNEWSって心の中では永遠に終わらない気がして。
いつまでも四葉のクローバーは4色に咲いて枯れない気がして。
「またいつか」なんてないのかもしれない。
けど心の中でずっと夢見ることはできる。
きっと、必ず。
4人のNEWSは永遠にファンタジーであれ
と願い、今は宝箱の蓋をそっと閉める。
また、また、いつか、
この宝箱開けてやるからなー!!!と私はずっと心の隅で思っています。
きっといつまでも4人のNEWSが大好き。
最高の航海だったよ、楽しかった。
ありがとう。
永遠に幸あれ。